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名古屋高等裁判所 昭和43年(ネ)625号 判決 1970年1月30日

控訴人 日本グランドレコード株式会社

被控訴人 伊藤元治 外二名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人らは、連帯して控訴人に対して金五〇〇万円、および被控訴人伊藤元治、同伊藤金松については昭和四二年九月二七日以降、被控訴人伊藤行夫については昭和四二年一〇月四日以降それぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」旨の判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用、認否は、左記のほか、原判決事実摘示のとおりであるから、ここに右記載を引用する。

(控訴代理人の主張)

一、請求原因の補充

本件違約金五〇〇万円の請求は、被控訴人伊藤元治の本件出演行為により控訴人が被つたつぎのごとき実損害により裏付けされているものであつて、右実損害からみるも、控訴人の本件違約金請求は、決して不当ないし違法ではない。

すなわち、

1  控訴人は被控訴人伊藤元治を流行歌手としてデビユーさせ、歌の作詞、作曲費、レコード製作費、宣伝費等右被控訴人のため多大の出費をなした。

2  右被控訴人の吹き込んだレコードは各レコード販売店等で発売になり、控訴人はこれにより右出費の回収を図ることができるはずであつた。

3  しかるに右被控訴人は「控訴人の許可なくしてラジオ、テレビ等に出演してはならない」という債務に違反して右許可を受けることなく、昭和四二年八月六日CBCテレビ全国対抗歌合戦の番組に素人として出場し「赤いグラス」等の歌二曲を歌つた。このため右被控訴人のレコードは各販売店から、「テレビを通じて素人と思われてしまつた者のレコードを売ることは困難である」として返品される等、以後右レコードの売却が不可能となり、控訴人は本項一号記載の出費の回収を断念せざるを得なくなり多大の損害を蒙つた。

4  右損害の発生はすべて右被控訴人の故意による債務不履行に起因するものであり、この債務不履行と控訴人の損害とは相当因果関係にある。

5  被控訴人伊藤元治の債務不履行(本件出演行為)の結果被つた損害の詳細はつぎのとおりである。

(1)  小売店から返品されたレコード二、一三三枚の小売店卸価格合計金四九二、七三二円(一枚当りの卸値は二三一円)

(2)  元治の宣伝費三二〇万円

(イ) 元治の歌のスポツト料(ラジオで歌の一部を流し、その歌及び歌手を宣伝する)として二〇万円

(ロ) 日本全国各地のラジオ局から放送されている「グランドレコードアワー」での右元治の宣伝費三〇〇万円

(3)  名誉毀損による損害金として金一〇〇万円

被控訴人元治が素人の歌謡番組に出たことによつてレコード会社である控訴人は社会的評価としての名誉を著しく侵害されたのでその損害金として金一〇〇万円を請求する。

以上のように、控訴人は、被控訴人伊藤元治の債務不履行によつて合計金四六九万二、七二三円の損害金を被つたしだいである。

二、原判決に対する反駁と控訴人の主張

(一)  流行歌手という職業は、一般の職業に比して次のように特殊性を有している。

1 原判決判示の如く素人あがりの全くの新人歌手の準専属契約に五〇〇万円の違約金の定めは一般的に見れば高額に思われるが、しかしテレビ、ラジオの発達により素人とプロとの差が接近している今日の歌謡界では昨日の新人が今日のスターの座に就くということも稀ではないのであつて、新人歌手に対して原判決の様に素人歌謡コンクールで入選した程度の歌い手であるから五〇〇万円の違約金は高すぎるという観念は最早現在の歌謡界では通用しない。

2 テイチクレコード会社の専属歌手の中にもその違約金が一〇万円程度の者が存することは事実であろう。しかし、専属歌手といつても様々な者が存するのであり、単にスターの地方公演の前座とか、ナイトクラブに出演するだけでレコードの吹込みをさせてもらえない歌手もいれば専属歌手に採用されてすぐレコードの吹込みをさせられる歌手もいる。自分の持歌を作詞作曲してもらえる歌手もいればそうでない歌手もいる。自分の持歌を作曲してもらいレコードに吹込める歌手とそうでない歌手とでは、もしその歌手が債務不履行をした場合にレコード会社に与える損害もおのずと異なるのであつてそれによつて違約金の額も異なるのは当然である。(ちなみにテイチクレコードの専属歌手の違約金の最高額は七、〇〇〇万円である)。

単に日本有数のレコード会社の専属歌手の中にもその違約金が一〇万円程度の者もいるということをもつて新人歌手に五〇〇万円の違約金を定めることは不当に高いとする原判決は右実情を認識していないものといわねばならない。本件被控訴人元治は自己の持歌を作詞作曲してもらい、それがレコード化されているのであり、このような待遇を受けている歌手にとつて五〇〇万円の違約金は決して高いものではない。

(二)  憲法が保障する自由権が私人間の法律行為にも最大限に尊重されねばならないことはもとより当然である。しかしおよそ契約に自由の制約あるいは拘束はつきものであり、契約関係に入ればある程度の自由が拘束されるのは当然である。ただその自由の拘束が基本契約の究極の目標に照して不必要又は不当に過重の場合には公序良俗違反として無効とされることがあろう。

そこで本件の歌手準専属契約であるが、この契約の究極の目標とするところは被控訴人である元治が歌手としてスターにまで育つこと、及びそれによつて控訴人であるレコード会社が利益を受けることである。この目標を達成するためレコード会社は歌手を育て明日のスターヘの道を歩ませようと資本を投下する。そして歌手はレコードが売れることによつてレコード会社へ貢献する。しかし歌手がスターヘの道を歩むためには多くの場合地道な努力が必要である。たとえば、現在スターの座を獲得した流行歌手扇ひろ子、千昌夫にしても売れないレコードを抱えて二年、三年という下積み生活を経ている。そしてこの間、本件被控訴人元治のようなテレビの素人歌謡番組に出るが如き非常識なことをしなかつたために売れなかつたレコードが次第に売れ始め、今日の栄光を獲得したのである。もし本件の右元治の如き行為をなしていたならば「レコードは出ているがあの歌手は素人にすぎなかつたのか」と、一般大衆に評価され、恐らく今日の栄光は得られなかつたであろう。そうなつていれば本人にとつても、又レコード会社にとつても非常な損失であつた。このように、歌手にとつても、又レコード会社にとつても甲第一号証契約書第九条に定めるような規約は未来の計り知れない利益のために、何としても守られねばならないものである。そしてそのための違約金の約定として金五〇〇万円は決して高すぎるものではない。

なお右契約書第九条は準専属契約期間経過後の被控訴人元治の行為を制限するものであるため、自由権の不当な侵害ではないかとの議論がなされたが、右期間経過後わずか一年間の拘束であり、レコードは右期間経過後も大衆の中に生きていることを勘案すれば、そのレコードが売れなくなる行為は許されないとすることは当然であつて、自由権の不当な侵害には当らない。歌手の準専属契約自体が有効である以上これに伴つて当然認められる自由の制限であり、これを芸娼妓契約と対比させることはナンセンスである。

(立証関係)<省略>

理由

一、請求原因(一)の事実、および控訴会社と被控訴人伊藤元治との間において請求原因(二)(1) ないし(3) の条項を含む準専属契約が成立したことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証、原審証人大西幾三の証言(第二回)により真正に成立したものと認められる甲第二号証、原審証人大西幾三の証言(第一回)、当審における控訴会社代表者大西幾三本人尋問の結果、原審および当審における被控訴人伊藤元治本人尋問の結果、ならびに弁論の全趣旨を総合すると、控訴会社は昭和四〇年四月設立され、従前大西幾三の個人経営であつたつぎの業務、すなわち地方の音頭、社歌、校歌等の作詩、作曲、レコード吹込等の業務を引きつぎ、歌とレコードの製作販売、専属、準専属歌手の地方出演業務等を営業目的とする会社であること、被控訴人伊藤元治は、控訴会社との右準専属契約に違反する行為をなした場合には、控訴会社に対し違約金として金五〇〇万円を支払うべく、被控訴人伊藤金松、同伊藤行夫は、被控訴人伊藤元治と連帯して控訴会社に対し右違約金五〇〇万円を支払う旨約したこと(以下、右約定を違約金条項という。)、ところで、被控訴人伊藤元治は、控訴会社の許可なく、右準専属契約満了後一年内である昭和四二年八月一六日午后七時より同七時三〇分までのCBCテレビ全国対抗歌合戦に自己の本名で出場し、他社の製作にかかる「赤いグラス」「白い慕情」の二曲をうたつたことを認めることができ、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない(但し、同被控訴人が右日時にCBCテレビ全国対抗歌合戦に出場し「赤いグラス」他一曲をうたつたことは、当事者間に争いがない。)。なお、前掲甲第一号証によれば、右準専属契約に附帯する誓約保証書において「……万一右本人(注、被控訴人伊藤元治)の故意または重大な過失により貴社に損害を与えた時は身元保証人として右本人と連帯して賠償の責を負うと共に、違約金として一金五百万円を支払い……」と定められており、右条項は、一見、控訴会社に対し損害賠償責任を負うのみならず、別に違約金五〇〇万円(この場合における違約金は違約罰と考えられる。)を支払うべき趣旨と考えられないでもないが、右甲第一号証に弁論の全趣旨を併せ考えれば、右条項は「……右本人と連帯して賠償の責を負うものとし、その損害賠償の予定として金五〇〇万円を支払う」べき趣旨のものと解するのが相当である。

前記認定事実によれば、被控訴人伊藤元治の本件出演行為は、前記準専属契約の(3) の条項に違反し、本件違約金条項の適用を免れないものと解すべきである。

また、被控訴人等は、本件出演行為が右違約金条項の文理解釈上これに該当しない旨を主張するが、原審証人大西幾三(第一回)、同北爪利一郎、当審証人福田昭三の各証言を総合すれば、本件準専属契約上(3) の条項を設けた趣旨は、一般に、専属ないし準専属の歌手が吹込んだレコードについては、その制作費用や宣伝費等の回収には当該レコード発売時より約一箇年を要するので、専属または準専属期間満了後一箇年は、同一業種の他社のレコードの吹込、テレビ、ラジオ放送および舞台等これに準ずる職種に出演等して当該歌手吹込の控訴会社のレコード販売に対して悪影響を及ぼすことを防止するにあると解せられるのである。しかして、本件出演行為のごとく、素人のど自慢類似のテレビ番組に出場して歌曲をうたうがごときことは、たとえ自己の本名で、しかも他社の作品をうたつたにせよ、これがいつたん控訴会社の歌手であつた被控訴人伊藤元治によつてなされたことが公けにされれば、本件におけるごとく同被控訴人の吹込んだレコードの販売に甚大な悪影響を及ぼすことはたやすく推測されるところであり、本件準専属契約上の(3) の条項は、かかる出演行為をも規制する趣旨を含むものと解するを相当とし、ひいて本件違約金条項がこれに適用されることとなるのは多言を要しないところである。

ところで、被控訴人等は、本件違約金条項は公序良俗に反し無効である旨を主張するので、この点につき判断する。

(一)  原審証人大西幾三の証言(第一、二回)、当審における控訴会社代表者大西幾三本人尋問の結果、原審および当審における被控訴人伊藤元治本人尋問の結果を総合すれば、被控訴人伊藤元治は、控訴会社が催した新人歌手コンクールに応募して当選した新人であり、名古屋工業高校出身で倉敷紡績株式会社の社員として勤務する傍ら控訴会社の準専属歌手としてレコードの吹込やキヤバレー等に出演していたものであること、ところで、準専属契約というのは、他社においてはあまり例をみないが、控訴会社でこれを設けた趣旨は、その契約期間(通例一箇年)における当該歌手のレコードの売れ行き等をみて、本来の専属契約を結ぶかどうかをきめるための準備期間をおいたものとみられるのであつて、従つて準専属歌手はおおむね全くの素人あがりの新人であつて、その契約金や準専属料もつぎのとおり低廉に格付けされていたこと、すなわち被控訴人伊藤元治を例にとれば、同被控訴人の契約金は金三、〇〇〇円、準専属料は毎月金二、〇〇〇円宛であつて、それも昭和四一年一二月以降は未払いとなつていること、レコード吹込料は一曲につき金一、五〇〇円ないし二、〇〇〇円、キヤバレー等の出演料は金二、一〇〇円ないし二、五〇〇円程度であつて、控訴会社の同被控訴人に対するこれらの吹込料、出演料等も未払分が残つていること、そして、準専属契約の趣旨が右のごときものであつたため、準専属歌手のレコード吹込やステージ出演等の実績も少なく、被控訴人伊藤元治は、それでも実績の多いほうであつたが、準専属の一年間を通じて六曲(レコードにして三枚)を吹き込み、またステージ出演回数は一二回ぐらいのものであつたこと等の事実を認めることができる。

(二)  また、原審証人北爪利一郎、同吉田武太、当審証人福田昭三の各証言、原審における検証の結果を総合すれば、専属または準専属歌手の契約違反があつた場合における違約金の定めは、レコード関係各社の一般に設けているところであるが、違約金の額を決定するには、当該歌手の将来性に対する見込や期待等に基き、幾何の宣伝費やレコード盤の製作費等をかけるべきか等の諸点を考え合せてきめられるのが通例であること、そして有数の大手メーカーたるテイチクを例にとれば、違約金の額は最低一〇万円より最高七、〇〇〇万円まであるが、専属歌手の知名度等に応じて無名の新人から一流歌手に至るまで段階的に違約金の額を定めているのであつて、その額の算定については、各社ともおおむね当該歌手の一箇月の専属料の一二箇月分を基準としてこれを定めていること、他方、控訴会社は、当時、会社設立後日なお浅く、資本金も二〇〇万円の中小規模のメーカーであつて(その後資本金八〇〇万円に増資)、被控訴人伊藤元治ら数名の準専属歌手を擁し、その業務も中部地方を中心としてレコード制作、歌手の地方出演等をなしていたもので、市内中村区若狭町所在のビルの中に約一一坪の事務所、約四坪半のレツスン場を設けているが、レコードの吹込等の施設等はなく、他社のそれを借りて間に合わせている状況であることを認めることができる。右認定にかかる事実に徴して考察すれば、一般に、同程度の歌手であつても経営規模の格段に大きくかつ世上の信用度も高いテイチク等の専属歌手ならば、その所属会社の名だけで他の歌手より上位であるかのごとく評価されるのが通例であり、従つてかかる歌手の契約違反行為によつて所属会社の被るべき損害も他の中小規模の他社のそれより大きいものがあると考えられるが、それはさておき、少なくとも経営規模の小なるがために違約金の額のきめ方を異にする特段の事情も見当らない本件においては、控訴会社の本件違約金条項において歌手の専属、準専属の区別なく、またその知名度に関係なく、違約金額を一律に金五〇〇万円と定め、無名の新人たる被控訴人伊藤元治にもこれを適用するのは、右認定にかかる他社との比較においても著しく高額であつて暴利行為とせざるを得ない。原審証人大西幾三の証言(第一、二回)、当審における控訴会社代表者大西幾三本人尋問の結果中、前記(一)、(二)における認定に反する供述部分はたやすく措信しがたく、他に右各認定を覆えすに足りる証拠はない。

(三)  前示各認定事実によれば、被控訴人伊藤元治は、控訴会社の歌手としての知名度も著しく低く、従つて同被控訴人の契約金、準専属料、出演料等も前記のごとく低く格付けされていたものであるが、それにもかかわらず本件準専属契約上の契約違反行為に因る違約金五〇〇万円は、一般的にみて著しく高額と考えられるのみならず、控訴会社における同被控訴人の前記のごとき準専属歌手としての立場や待遇、更に他社における違約金の額等と対比して甚だしく権衡を失し、暴利行為と断ぜざるを得ない。

ところで、控訴会社は、被控訴人伊藤元治の本件出演行為により、レコードの引き揚げによる実損害として一金四九万二、七三二円、宣伝費として一金三二〇万円、信用毀損による損害賠償として一金一〇〇万円以上合計金四六九万円余の実損害を被つたから、本件違約金五〇〇万円は不当ではない旨を主張する。当審における控訴会社代表者大西幾三本人尋問の結果によりいずれも真正に成立したものと認められる甲第一七号証ないし第一九号証、同本人尋問の結果、原審証人大西幾三の証言(第一、二回)を総合すれば、被控訴人伊藤元治の本件出演行為の直後、レコード商組合の副組合長より、同被控訴人の素人のど自慢類似のテレビ番組への本件出演行為に対し苦情があつたので、控訴会社は、信用維持のため自発的に、同被控訴人吹込のレコード合計二、一三三枚(一枚あたりの卸値二五九円)を各小売店より引き揚げたことを認めることができる。右認定事実によれば、控訴会社の引き揚げたレコードは、いちおう商品価値を失い、市販の路を閉ざされたものとみるのほかなく、結局控訴会社は右引き揚げにかかる二、一三三枚のレコードの卸値合計金五五万二、四四七円相当額の損害を被つたものとみるべきである。しかしながら、前掲各証拠によれば、同被控訴人の吹込んだ六曲(レコードにして三枚)中、二曲が一、〇〇〇枚前後売れ(いずれも二、〇〇〇枚あて製盤)、同被控訴人のごとき新人としては上々の売れ行きとみられた程度であつて、控訴会社としては、無名の新人たる同被控訴人吹込のレコードではさしたる儲けをあげ得なかつたこと等からみると、同被控訴人のレコードについては相当数の売れ残りが出ることも保しがたかつたものと窺えるのであつて、前記引き揚げにかかるレコード二、一三三枚の卸値合計金五五万二、四四七円は被控訴人伊藤元治の本件出演行為に因り控訴会社の被つた実損害の最高限とみられるが、売れ残るべきレコードを考慮に入れると、控訴会社の実損害は、前記卸値合計額を下廻ることとなる筋合である。

更に、同被控訴人の宣伝費三二〇万円については、原審証人大西幾三の証言(第一、二回)により認め得るごとく、被控訴人伊藤元治一人のみについて宣伝したものではなく、他の準専属歌手と一緒に宣伝したものであつて、同被控訴人一人あての宣伝費についてはこれを算定するに足りる資料がないので、控訴会社のこの点に関する主張は採用できない。また、信用毀損に因る損害金一〇〇万円については、被控訴人伊藤元治の本件出演行為により控訴会社にいかなる不利益を及ぼしたか等、信用毀損の具体的態容や損害額の算定につきこれまた認定資料がない。

以上のしだいで、被控訴人伊藤元治の本件出演行為により控訴会社の被つた実損害は、レコードの引き揚げによるそれであつて、最高限金五五万二、四四七円相当とみるべきである。してみれば、本件違約金条項による違約金五〇〇万円は、控訴会社の被つた最高限の損害額の九倍にも達し、違約金の額の算出基礎は甚だ不明確であつて合理性に乏しく、控訴会社の被つた実損害と対比するもこれまた暴利行為といわざるを得ない。

これを要するに、本件違約金五〇〇万円は、いかに当事者の合意によるとはいえ、被控訴人伊藤元治の準専属歌手たる立場や待遇等に徴し著しく高額であつて、他社のそれと対比するも甚だしく権衡を失するのみならず、その合理的根拠を見出すこともできず、信義則からみるもとうてい肯認し得る程度のものとは解し得られないのであつて、かかる違約金条項は畢竟公序良俗に反し無効と解するのが相当である。

よつて、控訴会社の本訴請求は、その余の点の判断をまつまでもなく、失当として棄却を免れない(なお、前記引き揚げにかかるレコードの卸値相当の実損害額金五五万二、四四七円の限度で本訴請求を一部認容する余地があるように考えられないでもないが、そもそも本訴請求は損害賠償の予定たる違約金五〇〇万円の請求である以上、違約金の額は実損害額より大であることも小であることもあり得るように実損害額いかんとは関係がないのみならず、控訴会社の右実損害額が本件違約金の額の上限を画するとみるべき根拠も見出し得ないので、前記のごとき本訴請求の一部認容を考える余地がないことを附言する。)。

以上のしだいで、当裁判所の右判断と同趣旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、民訴法三八四条に従いこれを棄却するものとし、訴訟費用の負担につき同法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤淳吉 井口源一郎 土田勇)

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